今週のお題「忘れたいこと」は「1人で過ごした小学生時代」です。
小学生の頃、友達がいなかったんですよね。多少話したりする子はいますが、気の合う友達,学校外で遊ぶ友達はろくにいなかった。
1学期は仲良くしてたのにだんだん話しかけられなくなったり、話しかけてもそっけなくされたり・・・
「私はいじめられてる!!」
そう思いました。
何かされるということはありません。上記したようにコミュニケーションをとってもらえないだけ。
授業中などの必要なことは普通に話してくれますが、休み時間は話すことはない。
しかし『学校に行かない』というような選択肢はありませんでした。
第一に親に言えない。
第二に負けたくない。
『いじめになんか負けない!私は1人でも学校に行ってやる!!』
『無視がなんだ!話す用事なんてこっちもないわ!!』
必死に自分に言い聞かせ、病欠以外は毎日学校に通いました。
実際はかなりきつかったです。
だって学校に行っても楽しくないんですよ。
勉強も得意じゃないし、運動も苦手、友達がいない。楽しいと思います?
学校というものが本当に憂うつでした。
でも大人にはバレたくないんです。
だから先生の前では普通にして、図書館でよく本を借りて休み時間もよく読んでいました。
学年が上がると「今度こそ友達作るぞ!」と頑張るのですが、やはり月日がたつと同じ状況に・・・
そしてやっと気づいたのです。
私はいじめられてなんていない。
話したくないほどに、ただ私の性格が悪いだけ。
当時の私はかなりわがままでした。
何かと理屈をこねて相手の意見を潰し自分の意見を押し通す。
これだけでかなり嫌なやつです。
みんな1学期は話してくれるのは、まだ私のことをあまりわかってなかったから。2学期以降 話してくれないのは、私のことを理解して「話したくない子」と判断されていたからです。
そのことに気づいた私は「自分の主張」はあまり言わなくなりました。
『私はおかしい』
『人とずれている』
『人に合わせないといけない』
そう自分に言い聞かせ、中学・高校は友達もでき平穏な日々を過ごせたと思います。
ただ自分の意見を言うということは、すごく苦手になりました。というか「おかしい」と思われるのが怖くてほぼ言えません。
これは現在も一緒。なるべく最初に周りの話を聞いてから”自分の意見”と”周りの意見”のズレを極力なくして会話します。
いじめ問題が上がってくると、一定数「いじめられる方にも原因がある」っていう人がいます。その人たちは私のような過去を過ごしたのではないでしょうか?
『いじめられてると思ってたけど原因は自分にあった』そういう過去を経験したんじゃないでしょうか。
もちろん理不尽にいじめられしまっている人がいるのも理解しています。『かわいそう』と思う人間の心もちゃんと持っています。
ただ自分の経験をもとに言ってしまうんでしょうね。
「そんなんだから嫌われるんですよ〜」
今の私は『いじめられていた』と思っていません。
ただ『嫌われていた』だけです。
いじめられていると勘違いするほど嫌われていた過去。記憶から抹消して、なんとしても他の人に知られてくないですね。
おしまい。