今週のお題「日記の書き方」ですか〜。
『書こう!』と過去に何度か思ったことはあるのですが、継続できたことはありません。
そんな私に「日記の書き方」とは…。何を書こうかねぇ。
日記が継続できない理由?
日記が継続できないのは、一体なぜなんでしょう?
過去に私が3日坊主となった理由は、このような感じだと思います。
- ページが埋まらない
- ページが足らない
- 毎日同じ日々
- 習慣化できない
・ページが埋まらない
最初はよくある日記帳のようなものを購入しましたが、書くことがない!
3行くらいで終わってしまい、ページの8割が空白。そんな毎日ばかりで情けない気持ちになり、嫌になった。
・ページが足らない
今度は1日あたりの書く量が少ないものを購入。
しかしこれだと何か特別なことがあった時は、とても書ききれない!1週間分くらいのスペースを使ってダラダラ書いた。当然その後の1週間スペースがないので書けない。忘れ去られた。
・毎日が同じ日々
「昨日と同じ」しか書くことがない。
特に何事もなく平和な日常。朝起きて仕事(学校)に行き、帰ってくる。
何書けばいいの?
・習慣化できない
結局はコレ!
「箇条書きでいい」とか「その日食べたものを書くだけでいい」とか色々聞くけど、結局は忘れ去られて継続できない。
なぜブログは継続できるのか?
継続できるって言っても、まだ1年3ヶ月程度。威張って言うほどではありません。
ただ上記したように、私は継続することができない!
その私が1年以上続けることができているのは、何でなのか?
多くの人にとって、日記は「人に見せない」が前提。
自分にその日起こったことを記録する物。
その日の出来事を反省したり幸せに感じたり、自分の感情と向き合う物でもありますね。
ただブログは「人に見せる」が前提。
この「巻き肩・亀首にいいかも」なんかは、完全に皆様と共有したいという気持ちで書いています。
しかし「熊本旅行に行った」などのように、その日の出来事を記録しただけだったり、
「駐車場でビックリしたこと」のように、怒りを書いていることもあります。
ブログの種類にもよりますが、書いていることは、日記もブログもほぼ同じではないでしょうか?
同じなのに、なぜブログは継続できているのか?
答え:見てくれる人がいるからヽ(*^ω^*)ノ
宿題は先生が見るから提出するけど、自主勉強はやらない。みたいな感じ…
この違い。
ブログは宿題のように義務ではありませんが、やっぱり見てくれる人がいたら「やりたい!」って思います。
私にとっては『人に見られない秘密の記録』よりも『人に見られる記録』の方が、合っていたということですね。
日記に憧れてる
こんな性格なので、自分自身が日記をつけるのは難しいことはわかっています。
しかし日記に対しての”憧れ”というものを、持ってるんですよね。
それは義母が付けられていた3年日記。
写真のように違う年数・同じ日付の日記を1ページに記録し、前年度との変化を見比べやすい日記帳。
義母はこの日記を付けられていて、私たちが帰省した時も毎日書かれていました。
その姿を見ていた私に
「3年前にお正月に来た孫(息子)くんは、〇〇に夢中だったよ」
と、日記に書かれていた息子の様子を教えてくれました。
日常すぎてすっかり忘れていた、当時の息子の様子。
日々の記録を毎日書いているからこそ、比較ができ,成長もわかるんだなと、改めて日記の良さを感じさせてもらいました。
1冊の本に3年分の記録を書くという、特殊性もありますね。
是非とも日記を付けられている方は、このようなタイプにもチャレンジし『3年前の今日は何してたのかな〜』と思っていただきたいです。
おわりに
「日記の書き方」
『日記 書けない人がこのお題で何を書いたらいいの?』と思っていましたが、なんだかんだ書くことができました。
「日記の書き方」には一つも触れていませんが(;´Д`A
とりあえず今まで通り 日々のできことなどを中心に、ブログに記録していこうと思います。
「あれいつ買ったっけ?」と思った時に、ブログを読み返して確認したりしてる自分を思うと、日記・記録としても成立しているのかもしれない。
いつも読んでくださる方。
私がブログを継続できているのは、読んでくださる皆様のおかげです。
本当にありがとうございます♪
おしまい。